バックナンバー (第31号〜第35号)
2011年3月11日(金)、1,000年に一度という巨大地震が東日本を襲いました。
死者行方不明者2万7千余名。M9.0の大地震、高さ15mを越す大津波、原発の放射能による
三重苦から1ヶ月近くたちますが、未だに震度6の余震が続き、核の暴走が収まりません。
私の知人たちは一様に「自分の生きている時に、こんな惨状を見るとは思いもしなかった」と言います。
混迷する日本に追い討ちをかけるような津波の猛威に、言葉を失い呆然とするばかりですが、
次の世代を担う子供たちのためにも、心をひとつにして、この難局を乗り切らなくてはなりません。
ことの良否はあっても、原発を含め戦後の荒廃から営々と積み上げてきた先人の努力を無にするわけにはいきません。
生かされているこの命を大切に、身の回りの小さなことからでもいいのです。出来ることから変えていきましょう。
皆様のお知り合いでも被災された方が多数おられることと思います。
被災した高校生が「東京への就職は決まっていたが、この光景を見て故郷で生きていこうと決めた」という
新聞の報道がありました。その若人の気持ちにこたえられる社会であり続けたいと思います。
一瞬にして家族、友人、家、職場、はては故郷まで流されてしまった多くの人々へ、
放射能の脅威に曝されている人へ、その悪魔と昼夜をわかたず戦っている人へ、復興への重い歩みを始めた人へ、
末永く暖かいご支援をお願いし、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
第7回は第31号から第35号までをお届けします。
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日本の再起を願いながら…2011年4月7日記。
No. | 発行年月日 | 記事の内容 |
第31号 (12ページ) |
平成5年11月25日 | 秋の川根路 笹間渡、抜里間 大井川鉄道カレンダーより |
高畑清吉さん(上長尾)…もうすぐ満百歳に | ||
町内講演会より…講師 和歌山県本宮町 中山嘉弘町長 | ||
そして、ふる里は 高齢社会のこと | ||
東京のかたすみから(4) 「ある研修会」…渡辺實夫 | ||
ふるさと夜話 釣り屋根につぶされた本城の殿様…原田耕作 | ||
豺狼(サイロウ)(やまいぬ、おおかみ)について | ||
編集部から 他 | ||
第32号 (12ページ) |
平成6年2月15日 | 積雪20cmの山犬段、寒暖計は零下6度でした |
1994 早春 ふる里は今 「フォーレなかかわね茶茗舘」のこと,、他 | ||
東京のかたすみから(5) 「テレビ局の年末年始」…渡辺實夫 | ||
”不況風を払拭?併せ英気を養う 超豪華ホテルで一泊忘年会 | ||
ふるさと夜話 青年団の製茶討論会…原田耕作 | ||
茶阿の局の話 他 | ||
編集部から 他 | ||
第33号 (14ページ) |
平成6年5月21日 | お茶摘み風景…写真提供 諸田秀男 |
探茶の旅から帰って…山田新市 | ||
2月20日中川根町長には鈴木久氏が再任されました | ||
ふるさと茶産地からの近況…農協中川根製茶工場 細田洋司 | ||
”今年も大札山にアカヤシオの花が咲きました” | ||
東京のかたすみから(6) 「テレビ電波大井川を遡る(1)」…渡辺實夫 | ||
水川阿弥陀観音堂由来…水川阿弥陀観音堂修復委員会 | ||
ふるさと夜話 歩いた時代のお茶物語…原田耕作 | ||
編集部から 他 | ||
第34号 (14ページ) |
平成6年8月6日 | 7月14日平谷の流し焚は悠悠と発進 |
6月10日静岡県移動知事室…「さわやか緑飲トーク」開かる | ||
河畑房次さん 捨てた故郷の「道」思い…厚省秘書官から転進 | ||
無医地域医療20年…医師 入江 琴 | ||
「フォーレなかかわね茶茗舘」ご案内 | ||
東京のかたすみから(7) 「テレビ電波大井川を遡る(2)」…渡辺實夫 | ||
ふるさと夜話 伝統床しい平谷の「流し焚」と 浄炎の祭典下長尾の「百八焚」…原田耕作」 |
||
編集部より 他 | ||
第35号 (14ページ) |
平成6年11月20日 | 昭和10年代の久野脇塩郷間にかかる大井川の吊り橋 |
魚釣り蝶追った少年時代…羽田祐一(下長尾高手山生れ) | ||
静岡新聞社の移動編集局が川根三町へやってきました | ||
小森さん5位入賞…ボディービルのアジア大会 | ||
ノンフィクションライター(久保尾出身)松永憲生さん新刊発売 | ||
「父の死とふる里」…徳山出身 西田享司 | ||
東京のかたすみから(8) 「世界初の試みとは」…渡辺實夫 | ||
我等餓鬼大将…焼津市 榊原正雄さん | ||
ふるさと夜話 きつねの話…原田耕作 | ||
編集部より 他 |